損保ジャパン株式会社と共栄火災保険株式会社は、過去のすべてを反省して出直しを。

今年世間を賑わした中古車販売最大手ビッグモーター社の保険金不正請求事件に、損害保険会社の損保ジャパン、共栄火災が深く関与していたことが明らかになってきた。 損保ジャパンは、白川さんが社長を辞任されたが、誰が社長でも白川さんと同じ決定をしただ…

「ビバ!クイズ」応援記

以前、地元のテレビ局に「ビバ!クイズ」という番組があった。 10人の小学生が早押しでクイズに回答するという形式だった。 毎週月曜から金曜の夕方5時台に放送していて、私もよく見ていた。 昔は、「6〇〇こちら情報部」「開け!ポンキッキ」「できるかな…

天仙液の王振国医師訪問記

2017年3月慢性鼻炎と耳管開放症の治療のため北京を訪れた。 2週間の滞在中に4回病院に通い、空いた時間で万里の長城、頤和園、北海公園、盧溝橋、円明園、天壇公園など北京の主だった観光地を観光した。 2週間の滞在も残りわずかとなった。 最後にどこに行く…

名監督・名コーチについて

1978年10月22日は日曜日で、私は、家族と一緒に川の上流の方にある小さなお店へ行き川魚を食べた。 その店にあった1台のテレビが、ちょうど日本シリーズ、ヤクルト対阪急の最終戦を放送していた。 当時の私は小学2年生で、すでに野球への関心が強く、地上波…

2003年SARSの出現

2002年9月に日本語講師として烟台市にあるN大学に着いた。 そして、その年の冬に中国南方の広東省でSARSが出現した。 翌年3月に本格的に感染が広まり、中国全土に拡大した。 SARSのことを中国語では「非典型性肺炎」といい、人々は最初の2文字を取って「非典…

発声障害の改善

幼稚園児の時の記憶は定かではないが、小学校低学年時には、声が出しにくいという自覚があった。 その理由で中学年以後、クラスの青木君にいじめられていたことがあった。 そのことを母に言ったら、母が青木君のお母さんに話をしたようで、青木君の態度が急…

日本語教育能力試験を受験

山東省烟台市にあった共産党学校(党校)で日本語教師をしていたが、ビザがどうしても延長できず、やむを得ず3か月間で党校とお別れし帰国した。 中国の大学の日本語学科などで日本語教師をする場合、特に資格は必要なかった。 しかし、その後も長く中国で日…

上海での引越し劇

青島市の公安局で4時間拘留されてからは、ある町に着いたら速やかに最寄りの交番に到着の届出をすることを肝に銘じた。 2010年に妻と一緒に上海のアパートで住むことになり、上海到着後すぐに最寄りの交番に行き到着の届出をしようとした。 ところが、そのア…

山矢先生の思い出

山矢賢二先生は、京都府の元国語教師で、『漢文の散歩道』(日中出版社)という本を出版されている。 先生とは、2004年から05年にかけての1年間、山東省青島市にあるL大学日本語学科でご一緒させていただいた。 わずか1年間ご一緒させていただいただけだった…

ストイックな中学高校時代

カタールワールドカップ日本代表のキャプテンを務めた吉田麻也選手は、中学校入学以後、体のケアのためにファストフードや炭酸飲料などを避けている、ということを知った。 私も、競技者であった中学高校時代に、同じようなことを実践していた。 要らなくな…

漢方薬による鼻炎治療遍歴

1980年代に『子どもの鼻はママが治せる』(リヨン社)という本があり、母は新聞広告でこの本のことを知ったのか、とにかく買い求めてきた。 この本の治療法の主体は漢方薬で、著者の西田さんの名前を取って、この治療法を西田式と言った。 私は、小学低学年…

2人のお世話になった大学の先生

山田先生は、当時国立T大学の国際経済学の教授だった。 私を含めた数人の新入生から成る小グループは、山田先生の担任となった。 ご縁があった。 一度、山田先生が私たちをご自宅に招待された。 今からもう30年以上前のことなので、どのようにして先生のご…

蘇州号・真鑑真号(大阪ー上海)の思い出

2008年に山口県下関市と中国青島市を結ぶオリエンタルフェリーに乗船して船旅に魅せられた。 オリエンタルフェリーには、その後乗船する機会がなかったが、その代わりに大阪と上海を結ぶ真鑑真号と蘇州号にたびたび乗船した。 回を重ねると「あれ、この人見…

ロッテオリオンズ村田兆治投手を偲ぶ

生の村田兆治を見るために、1989年大学1年生の時、川崎市にある川崎球場へ足を運んだ。 これが人生初のプロ野球公式戦の観戦であった。 ゲーム当日の朝、新聞でその日のロッテの予告先発が村田であることを確認すると、茨城の大学宿舎からバスと電車を乗り継…

オリエントフェリー(ゆうとぴあ号、下関-青島)を懐かしむ

山口県下関市と山東省青島市を結ぶオリエントフェリーには、2008年に1往復乗船したことがある。 もう一度乗船したいと思っていたが、2015年末をもって休航となってしまった。 北九州と熊本を結ぶ高速バス「ぎんなん号」が廃止になったと知ったときと同様に非…

静安区で見かけた強烈な印象が残った物乞いのペア

私が高校生だったころまでは物乞いがいた。 国鉄T駅構内の地下道で見かけることがあった。 高校3年生のときに引越しをしてこの地下道を通る機会がなくなり、その後のことはわからないが、現在はいないのではと思う。 中国滞在時、上海の地下鉄の車両の中で2…

さだまさしさんの影響で中国語の勉強を始めた。

中国に関心を持つようになったのは小学生の時から。 中国残留孤児のニュースを見て、中国人の懐の大きさを思った。 また学研のある本を読んで、中国人は漢字しか使わないことを知り、 「日本人なら漢字を忘れたら、仮名を使って書いてもいい。でも中国語には…

烟台滞在時は毎夜断水

日本でも有名なファン・ビンビンは、山東省烟台出身。 私がその烟台市龍口に滞在時の水道は、毎晩9時から翌朝まで断水した。 9時きっかりに断水するわけではなく、9時前だったり9時過ぎだったりした。 そのため、運が悪いとシャワーの真っ最中に水が出なくな…

青島市城陽区にある公安局で拘留されたこと

中国では、「外国人が中国のある場所に到着後、24時間以内に最寄りの公安局に届出をしなければならない」という規則があるが、最初は知らなかった。 中国で最初に住んだ場所は、山東省の烟台市で、届出をしなかったが何も起こらなかった。 烟台市には14か月…

上海にある中国工商銀行仙霞通り店にて

上海在住時、日本円から中国元に交換したいときは、いつもアパートから最も近い、仙霞通りにある中国工商銀行を利用していた。 行くと、銀行の入口の外側にいつも同じ中年の男性が立っていて、私が中国人でないと見るや声をかけてきて、日本円をレートより高…

早逝した楊君の思い出

楊学金君は、青島のL大学日本語学科の元学生。 妻と同じ学年なので今年37歳前後。 先月、肺がんのためシンガポールで亡くなった。 悲しい気持ちに包まれた。 L大学日本語学科の当時の3年生の男子学生は、勉強に身が入っていない学生が多く、私と交流した男…

ケンタッキーフライドチキン店内でハーモニカを吹くお年寄り

2010年ごろ、私は、大学受験のたくさんの参考書やら問題集やらを上海のアパートに持ち込んで勉強していた。 上海の夏は、日中の気温が40度まで上がる日もあり、また夜9時を過ぎても34度を下回らなかった。 そこで夏の日中、よくアパートから逃げ出し、近くの…