幼稚園児の時の記憶は定かではないが、小学校低学年時には、声が出しにくいという自覚があった。
その理由で中学年以後、クラスの青木君にいじめられていたことがあった。
そのことを母に言ったら、母が青木君のお母さんに話をしたようで、青木君の態度が急に良くなった、といったことがあった。
特に男性特有の低い声が出にくく、女性のような笛を吹いたような高い声しか出なかったため、クラスの竹林さんにからかわれていたこともあった。
声が出にくい原因として思い当たるのことが主に3つある。
1つ目は、幼児期に扁桃とのどちんこの摘出手術を受けたこと。
2つ目は、重度の慢性鼻炎を患っていたこと。
また、鼻の中がひどく曲がっていて、24歳の時、H大学病院で手術をして真っ直ぐにした。
もともとはアデノイドのみを摘出するために手術に臨んだのだが、手術後になって初めて医師から「鼻の中もついでに切った。別人の鼻になったよ。」と言われた。
当時は、インフォームドコンセントについては、まだうるさく言われていなかった。
アデノイド摘出手術によって、慢性鼻炎は確かに軽減した。
手術前は、ビールを飲むと、おいしいと思う時とすごく苦く感じるときがあり、飲み始める前に、「今日は苦くないように」と心の中でひそかに祈ってから飲んでいたものだった。
ところが、手術後は、どういうわけか苦いと思うことはなくなり、ビールをいつもおいしく飲めるようになった。
3つ目は、家庭内での緊張。
発声障害があると、社会生活のあらゆる場面で厳しい制約を受ける。
物心がついた時には、すでに声が出しにくかったので、自分一人だけが声が出しにくいのだと思わず、他の人も同じだと思っていた。
しかし、成長していくにつれ徐々に、自分が他の人とは違うのでは、と思うようになっていった。
20歳を過ぎた頃から声の改善のために本の朗読を始め、断続的に現在まで30年間続けている。
数年に1回声が出やすいことがあったため、不可逆的な障害ではなく、治る可能性があるのではと希望をもって朗読に取り組んだ。
ボイストレーニングや吃音の本をたくさん読んだが、どれも役立たなかった。
そして今年の夏ごろから発声の仕方がようやくわかり始めた。
それは、
①舌の位置は、適正に前方かつ下方向に。
舌がのど側に寄ってのどを塞がないように。
②こめかみから出発して真下に下りる直線上のある筋肉が緊張し過ぎていないように。
特に、あごの出っ張り部分付近の筋肉の緊張に注意する。
声の出が良くない時は、その部分を手でマッサージすることも有効。
こうすることで鼻に声が共鳴し、発声が楽になった。
よく本に書かれている腹式呼吸が最も大事であるということではなかった。