天仙液の王振国医師訪問記

2017年3月慢性鼻炎と耳管開放症の治療のため北京を訪れた。

2週間の滞在中に4回病院に通い、空いた時間で万里の長城頤和園、北海公園、盧溝橋、円明園、天壇公園など北京の主だった観光地を観光した。

 

2週間の滞在も残りわずかとなった。

最後にどこに行くか、オリンピック公園や朝陽公園などまだ行っていない観光地もあったが、それらをあきらめ、王振国病院を訪れてみることにした。

 

当時住んでいた九州のアパートのすぐ近くに市立図書館があり、よく利用していた。

ある時『漢方によるがん治療』のタイトルが目に留まった。

漢方薬でガンが治らないかは、常々考えていたことだし、実際に医者自身がガンになると、漢方で治そうとすると以前何度か聞いたことがあった。

その書中には、王医師が天仙液を作ろうと思ったきっかけや天仙液の毒性を調べているときのエピソードなどが書かれていたが、天仙液がどのようにしてその配合に決まったかなど大事な記述はなかった。

 

王振国病院は、北京市の南の郊外にあり、中心部からは随分離れている。

北京市中心部から真南に延びる地下鉄に1時間くらい揺られたか。

駅を出てから次にどのように向かうか少し迷った。

 

個人が建てたとは思えない大きな病院であった。

中国では医者は全員勤務医なので、このような個人経営の大病院に驚いた。

 

私たちが行った時は午後だったためか、人気がなく閑散としていた。

受付で王医師がいらっしゃるかどうか尋ねると外出中だと言われたが、日本から見学に来たことを伝えると、王医師の執務室に通された。

 

部屋に入ると、王先生はちょうどビジネスの電話をされていた。

有能な医師に色々なビジネスの話が持ち込まれるのは仕方がないことだ。

 

王先生は、数日前にも日本から見学団が来ていたこと、これまでに1万人の日本人が天仙液によってガンが治ったこと、ある日本人は感謝のため王先生に1億円の寄付をしたこと、日本に天仙液を作る工場を建てたいと思っていること、などおっしゃった。

その後、執務室を出て王先生自ら病院内を案内された。

 

折角遠くから来たので、王先生と別れた後もすぐには帰らず、広大な病院内をもうしばらく見学することにした。

とても大きな中庭があり、歩いていると、患者本人か患者の付き添いらしき人に出会ったので、声をかけてお話を伺った。

 

最初に声をかけた人は、山東省荷澤市から来ていた方だった。

10歳にならない孫の鼻にガンができたと言う。

荷澤市は、山東省の中でも特に貧しいところで有名だ。

何か体に悪いものを食べ続けてきたのだろうかと想像した。

もちろんガンの生因はさまざまで想像の域を過ぎない。

おじいちゃんからガンが見つかるまでの経緯を話して頂いた。

「食欲がなくなって…」などと言われた。

 

私たちは、次に食道がんの患者本人に声をかけお話を聞いた。

 

私たちは、再び建物内に入り病棟内を見学した。

手術室があった。

さすがに天仙液だけではガンは治らないことは承知されている。

 

鼻にガンができた子をお見舞いしようと妻と話し合い、ナースセンターでその子が入院している病室を調べてもらった。

その子はお母さんと一緒だった。

お子さんは一見そんな大病を患っているふうには見えなかった。

 

私たちは一旦王振国病院に別れを告げ帰途についた。

地下鉄の駅に向かって沈んだ気持ちで歩いている途中、妻が「お見舞いの品を持って、その子をもう一度訪れたい」と言い出した。

妻は、優しい心を持っている。

私は即座に賛成した。

近くの露店でバナナ、リンゴなど果物を買い求め、病院にとんぼ返りし再びその親子をお見舞いした。

その子のお母さんは、私たちの名前を教えてほしいと言われたが、反日感情が強い中国人が多いことを考慮して私たちの素性を明かさなかった。