2008年に山口県下関市と中国青島市を結ぶオリエンタルフェリーに乗船して船旅に魅せられた。
オリエンタルフェリーには、その後乗船する機会がなかったが、その代わりに大阪と上海を結ぶ真鑑真号と蘇州号にたびたび乗船した。
回を重ねると「あれ、この人見たことがあるなあ」と以前に船上でお目にかかった人と再び船上でお会いすることがあった。
みんな船旅に魅せられた常連さんだ。
蘇州号の雑魚寝室は、広くて居心地が良く、私のお気に入りだった。
通路の非常灯・誘導灯が夜間でも煌煌と光を放ち、室内はあまり暗くないが、1日中船に揺られて知らぬ間に疲れがたまるのだろう、明るくても不思議とよく眠れた。
その蘇州号の雑魚寝室で2度一緒になったⅯさんは、中国人女性と結婚されて、当時雲南在住であった。
若いころにアメリカに行かれ、アメリカの発展に衝撃を受けられた。
帰国後日本航空関連の仕事をされ、その後中国無錫にある会社で社長を務められ財を築いた。
中国人のIさんもまた蘇州号の雑魚寝室で2度一緒になった。
彼の日本語を聞いて最初は日本人だと思ったが、中国人であるそうだ。
大陸と台湾が武力衝突を起こした場合、北京から東側に住んでいる数億人が犠牲になるだろうとおっしゃった。
第一回目に船でお会いしたときは、センター試験が目前に迫っていて、私が数学の模擬試験を一心不乱に解いていたので、私がインテリに見えた、とおっしゃった。
その時は何の交流もしなかったが、不思議とお互いが顔を覚えていた。
また、最初に真鑑真号の雑魚寝室に泊まった時は、たまたま上海海事大学の学生が大勢乗り込んでいて、部屋が乗客でギュウギュウ詰めだった。
乗船して部屋に入ると、すでに隣との間に隙間なく布団が敷かれていた。
狭い部屋で、他の乗客が何を話しているのかよく聞こえた。
布団が隣り合わせだったある2人は、すぐに打ち解けたようで、そのうちの一人が面白い話をしているのがこちらにも聞こえ、楽しかった。
真鑑真号で次にまた雑魚寝室を予約したら、今度は部屋には私を含めて3人しか乗っておらず寂しかった。
そのうちの1人のSさんとお話をさせて頂いた。
Sさんは、美容師で、愛猫と一緒に暮らしておられた。
下船したらすぐに自転車を買って観光すると言われた。
彼は、所持金が少なく、困った時のために電話番号を教えておいたが、泊まったユースホステルにきっと親切な日本人がいたのだろう、彼からの連絡はなかった。
コロナ感染勃発後、真鑑真号も蘇州号も現在までずっと運休している。
彼らは今頃どうしているのだろうか懐かしい。