生の村田兆治を見るために、1989年大学1年生の時、川崎市にある川崎球場へ足を運んだ。
これが人生初のプロ野球公式戦の観戦であった。
ゲーム当日の朝、新聞でその日のロッテの予告先発が村田であることを確認すると、茨城の大学宿舎からバスと電車を乗り継いて川崎球場を目指した。
試合前に球場に到着し、1塁側の内野席に座って待っていた。
しばらくして小さな歓声が起こったので、ひょっとして村田が出てきたのかなと、1塁ベンチ側を注目すると背番号29が出てきたのが見えた。
心が震えた。
「エキサイティングリーグ、パ!」という場内アナウンスが終わるや否や村田が投げ始め試合が始まった。
残念だったのは、川崎球場は内野観客席からピッチャーマウンドまで長い距離があり、ピッチャーの姿がとても小さくしか見えず、あのダイナミックなフォームを確認することができなかったことだ。
その2年後に人生2回目のプロ野球観戦を神戸グリーンスタジアムで行った。
先発ピッチャーの山沖のピッチングフォームが手に取るようにわかった。
まるで草野球を観戦しているような近さだった。
同じプロ野球観戦も、球場によって随分違う。
どちらも大変個性的な投げ方をするピッチャーだ。
あのようなフォームは、なかなか思いつくものではない。
ほぼ単一民族で構成されていて、出る杭は打たれる日本では、個性的な選手は、実績をあげればたたかれなくなるが、それまでは数多くの非難にさらされる。
ロッテ球団は、バレンタインが監督になるまでは非常に弱かった。
村田は、そのような弱小チームで通算215勝をあげた。
他のチームでプレーしていたら何勝できただろう。
私は、中学高校の6年間かなりストイックな生活を送っていたので、村田のストイックさにもひかれ共感を覚えた。
そんな村田兆治に影響を受けた人は、きっと多かったに違いない。
私の心の中で村田兆治は、永遠にヒーローであり続ける。