オリエントフェリー(ゆうとぴあ号、下関-青島)を懐かしむ

山口県下関市山東省青島市を結ぶオリエントフェリーには、2008年に1往復乗船したことがある。

もう一度乗船したいと思っていたが、2015年末をもって休航となってしまった。

北九州と熊本を結ぶ高速バス「ぎんなん号」が廃止になったと知ったときと同様に非常にショックを受けた。

 

以前、知り合いの中国人のカさんと、中国語スピーチコンテストで全日本2位になった同郷の米沢君の2人が「中国では船着場の職員の対応が乱暴で怖い」と話し合っていた

私は、それを隣で聞いていたため、船で中国に行くことを長い間避けていた。

しかし、どういう心境の変化があったのか今となっては思い出せないのだが、初めて船で中国に渡ることを決意し、下関からオリエントフェリーに乗り青島へ行くことにした。

実際に乗船すると、船着場の職員が怖い、などということはなく、その後すっかり船旅のとりこになった。

 

乗船の前日は、下関駅近くの東急インに宿泊。

当時、損保ジャパン保険会社の共済会を通じてホテルを予約すると1泊1500円で宿泊できた。

ホテルの近くにデパートがあり、そこで青島の紡績検査会社で働くガールフレンドのために日本語の小説を1冊買い、また、お寿司の盛り合わせを買って夕食とした。

ホテルの朝食はバイキングで、下関らしくクジラ料理があり、珍しくてたくさん食べた。

おいしかった。

 

船では、鹿児島大学に留学している中国人と一緒の部屋だった。

8人部屋に2人だけ。乗客は少なかった。

彼とは下船時に、以後連絡を取り合おうと約束して、私の方から彼に一度メールを送ったが返事は来なかった。

乗客は、私たちの他に日本人の旅行ツアーの団体が乗っていて、中国人の船員から中国語のレッスンを受けていた。

 

船の食堂でかつ丼を注文したら、日本国内で食べるかつ丼と全く同じ味がしてうれしかった。

船の上からどんな景色を見たかは覚えていない。

覚えていることは、フロント横のラウンジに野茂英雄ドジャースに行ってから書いた本が置いてあったことや、アクセントの違う日本語を話すニキビ肌の若い女性船員がいたこと。

他には、食堂の様子や卓球台が置いてあった部屋もおぼろげながら覚えている。

 

青島に着き荷物検査を受けているときに「本を出せ」と言われた。

尖閣諸島が日本領土になっている地図を持っていたら没収するのが目的だったのだろう。

私は大学受験の参考書ばかり何冊も携帯していて、検査官がそのうちの数学の参考書を開くと、「何だこれは。もう行け」と拍子抜けした顔をして言った。

 

青島では、中山通りのホテルに2週間滞在し、最終日に復路の船に乗った。

乗船前にガールフレンドが餞別にとチョコレートパイをくれて、うれしかった。

今度は、日本に働きに行く若い中国人がたくさん乗り込んだ。

 

ところが、おりしも青島港に濃霧が発生したため、船は2日間全く動かず、港に留め置かれた。

この間の食事はすべて無料で提供された。

私は、この予定外の事態をむしろ楽しんだ。

それだけ長く船の中に滞在できるのだ。

おまけに時間を惜しんで受験勉強しなければならず、全く退屈しなかった。

一緒に乗り込んだ研修生たちは手持ち無沙汰で退屈したかもしれない。

 

この時も船の上からどんな景色を見たのか思い出せない。

しかし、すっかり船旅の魅力にはまってしまい、その後大阪-上海間の船には何度となく乗船し船旅を楽しんだ。