2002年9月に日本語講師として烟台市にあるN大学に着いた。
翌年3月に本格的に感染が広まり、中国全土に拡大した。
SARSのことを中国語では「非典型性肺炎」といい、人々は最初の2文字を取って「非典」と呼びならわした。
不思議な名称だなと密かに思っていたら、中国人の学生の一人が「名前が面白い」と私に言ったので、中国人も同じように思っていることがわかった。
宿舎のテレビでリアルタイムの感染状況を毎日よく見ていた。
感染状況は、北京とその北にある内モンゴル自治区でひどかった。
私が住んでいた山東省は、幸い感染が少なく、全く脅威を感じなかった。
対岸の火事を見ている感があった。
それでも大学の職員が一度宿舎を訪れ、部屋の隅を申し訳程度にアルコールを霧吹きしていった。
学長の娘が、私が日本に戻ってきてもいいと言ったが、その必要はなかった。
中国全体でみると大火事になっているが、私がいた所はマスクをする人もおらず、平時と全く変わりなかった。
SARSは、その年の7月には終息し、短い命運をたどった。
それから17年後、今度は新型コロナウィルスが大流行した。
こちらの方は、変異を繰り返して生き続けおり、現在もまだ大流行中である。