山矢賢二先生は、京都府の元国語教師で、『漢文の散歩道』(日中出版社)という本を出版されている。
先生とは、2004年から05年にかけての1年間、山東省青島市にあるL大学日本語学科でご一緒させていただいた。
わずか1年間ご一緒させていただいただけだったが、先生との思い出は尽きない。
とにかく仲良くしていただいた。
山矢先生は、現役時代、授業中に落語を披露されていたことがあったそうだ。
真面目だが、ユーモアにも溢れた国語教師であった。
ただ、ある生徒から「あまり面白くない」と言われて、ショックで落語をやめてしまわれたそうだ。
好きな作家は谷崎潤一郎だと言われた。
題名の面白そうな本を見つけると片っ端から読まれたそうだ。
私も学生たちに混じって山矢先生の授業を受けてみたかったが、失礼になるかと思いあきらめた。
もしも私が高校時代に山矢先生の授業を受けていたならば、文学の面白さがわかって興味を持ち、その後の人生もまた変わったものになっていたことだろう。
今振り返ると私の高校の先生はひどい方ばかりだったので、山矢先生のような先生がいてくれていたらどんなにかよかっただろう、と思ったものだった。
ある時、山矢先生から「一緒にカレーを作って食べよう」と言われ、私が「それなら学生を誘って一緒に食べましょうか」と提案したところ快諾された。
それから何度もカレーライスを通して学生たちと交流することになった。
学生にとってカレーを食べるのは初めての体験で、「おいしい、おいしい」と何杯もおかわりする学生もいれば、辛くて顔を真っ赤にしてつらそうにしている学生もいた。
ある時、私が事前に作ったパーティーで食べるカレーを山矢先生が温められている際、誤って焦がしてしまわれた。
先生は、「焦げていないところをすくって食べよう」とおっしゃったが、私が一口食べてみると、やはり味が変わっていた。
学生たちに「カレーはおいしくないものだ」というイメージをもってもらいたくなかったので、そのカレーは使わないことにし、予定を変更して、その日はレストランでみんなと食事をした。
後日改めて同じメンバーでカレーパーティーを開いた。
ある時、日本語学科3年2班の班長と、同じ2班で授業中いつも最前列に座っている数人の学生を誘って、山矢先生と一緒に大学東門近くにあるレストランで食事をしたことがあった。
とても暑い日だったのにレストランのエアコンが壊れていて暑い中で食事をしなければならず、みんなに申し訳なかった。
途中、陳勝・呉広の乱の話が出て、班長が「紀元前209年に起きた」と言ったので、私が電子辞書で調べてみたら本当にその通りだった。
すると先生が班長に「まあ、飲みねえ」と言いながら、すかさずビールを勧めたので歓声と笑いが起きた。
05年になってから、山矢先生から「結婚記念日に一緒にお祝いしたいので、青島市中心部にあるジャスコ内のレストランで食事をしたい」と誘われた。
その時も学生たちを誘い一緒にお祝いをした。
私も山矢先生も、うな丼をいただいた。
ある時、山矢先生の授業中に、ある学生の携帯電話が鳴り、「だれの携帯電話が鳴ったのか」と学生全体に問いかけてもだれも名乗り出なかったので、怒って帰ってしまわれた、ということがあった。
その晩だったか次の日の晩だったか、携帯電話の持ち主と彼のガールフレンドが一緒に山矢先生の部屋を訪れ謝罪したそうだ。
とにかく山矢先生との思い出を挙げれば切りがない。
コロナ明けに、妻と娘と一緒に、先生とお会いする計画を立てていたのだが、今年の9月に旅立たれ、かなわぬ夢となった。
先生ともう会えないのだ、と思うと本当につらい。